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【名車解説】YAMAHA RZについて歴史を徹底解説

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こんにちは、バイクブロガーのリョウタです

今回はヤマハのRZ250/350について紹介したいと思います

RZ250といえば2ストの250ccでミドルクラスのバイクを狩ることから「ミドルキラー」と異名を持つバイクです

またRZ350もナナハンキラーという愛称があります

そんなRZはどういう経緯で誕生したのか、開発背景を踏まえながらその歴史について解説しようと思います

この記事を読めばRZ250の歴史や時代背景、人気の理由がわかるのでよかったら最後までご覧ください

RZの誕生から現在まで

RZの開発背景

1970年代、アメリカは自動車排出ガス規制を強化し、二輪業界にも大きな影響を与えました

1970年改正法のマスキー法は排気ガスの一酸化炭素の排出量を従来の1/10にすることを義務付ける厳しい法律でした

排出ガスが4ストより汚い2ストのバイクにとってこの法律は厳しく、アメリカ市場をメインターゲットにしていた各メーカーは4ストの開発に力を注ぎます

ヤマハも4ストエンジンの開発に着手するとともに、2ストの主力モデルであったRD400を排ガス規制に適合させようと努力していました

Forever Bike, Yamaha RD400 Martin James. Photo credit ©Simon Finlay Photography.

RD400は技術者の努力の甲斐がありなんとか改良することができましたが、エンジンパフォーマンスが低下しまるで4ストのような味付けのバイクになってしまいました

開発者たちはRD400の2ストらしさが失われたことに一種のわだかまりを抱いていました

一方そのころ「ヨーロッパではまだ多くのライダーが2ストロークのピュアスポーツを望んでいる」という声が本社に届きます

当時、排ガス規制や騒音対策などの面で2ストロークエンジンがなくなっていくことはわかっていましたが、

2ストのヤマハとして最後の2ストロークスポーツモデルを作ろうと技術部門の情熱によってRZは企画されました。

2ストらしさが追求されたRZ

エンジニアの思いやRD400の反省もありRZには当初から「2ストロークの良さを全面的に出していこう」というコンセプトがありました

2ストロークの良さとはシンプルで楽しく、そしてリーズナブルという意味が含まれていました

高価な素材の使用や複雑なシステムを採用することなく、性能と「2ストらしさ」を追求されています

エンジンは市販レーサーTZで培った水冷2気筒で、同クラスとして当時トップの35psを誇りました

水冷になったにもかかわらず、エンジン単体重量は空冷のRD400よりも12%も軽量化されました

また2ストらしさを求めるためメッキマフラーではなくチャンバー構造の黒いエキゾーストシステムを採用しました

https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/rz250/story/

2ストのバイクは振動がすごく手がしびれて箸が持てないためサービスエリアのそばが食えないといわれていました

そこで、サービスエリアに入ったらすぐにそばを食べられるようRZは振動対策にも力を入れます

2スト特有の振動を低減するためオーソゴナルエンジンマウント方式が採用。

https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/rz250/story/

オーソゴナルエンジンマウントは4ストロークのXS650スペシャルで研究されていた技術でこれをRD400ベースのテスト車に流用しました

この新しい技術によって、それまで問題になっていた7000rpm付近の振動が見事に低減されました

また、水冷2ストロークエンジンとともにRZの性能を支えたのがモノクロスサスペンションになります

それまではモトクロスで採用されていたリアサスペンションをRZは初めてオンロードスポーツに持ち込みました

通常は2本のダンパーユニットで支えるリアのスイングアームを、1本のダンパーユニットと三角形をなすスイングアームにしたのがモノクロスサスペンションで、これによりコーナリング及び高速直進性が大幅に向上しました

しかし、モノクロスサスペンションはダンパーユニットがシートからタンクの下に位置するためエアクリーナーとバッテリーの搭載スペースが失われてしまいます

そこで、フレームデザインからタンクやシート、サイドカバーまでモノクロスを前提に見直し、エアクリーナーはタンク下、バッテリーは左のサイドカバーの内側にレイアウトすることで搭載可能となりました。

フレームは軽量化にもこだわりRD400に対して訳20%も軽い13kgに収めました

RZの登場から現在まで

1979年10月、第23回モーターショーでRZは登場。

ヤマハブースは、すでに二輪専門誌で情報をつかんでいた大勢のモーターサイクルファンによって埋め尽くされました

東京モーターショー 当時の様子

存在感のあるパールホワイトの燃料タンクに加え、火炎イメージのキャストホイール、多段チャンバータイプのテールアップマフラー、特徴的な黒く大きなラジエター、アルミ製バフ仕上げのフートステップブラケットなど、流麗で挑戦的なフォルムを構成するパーツの一つひとつがファンの目を釘づけにしました

全国の販売店に予約が殺到し、当初は半年待ちといわれるほどに人気を集めました

さらに1981年にはRZ350を追加し、RZは当初予想の3倍も4倍も売れる大ヒットとなりました

最後の2ストのバイクとして生み出されたRZは圧倒的人気で2ストロークスポーツバイクのジャンルに再び火をつけ、二輪業界は80年代のレーサーレプリカブームに突入していくこととなります

こうしてRZは歴史に名を遺す名車の一つとなりました

まとめ:バイク史に残る名車、RZ250

RZの歴史、いかがだったでしょうか

今回のRZを紹介するにあたり、興味深い点がありました

それはヤマハが最後の2ストロークと決意して作ったバイクがのちの2ストレプリカ全盛の時代を築くことになった点です

RZのあまりの人気に他社からも2ストのバイクが登場し、それまで4ストの流れだったバイクの歴史を一種のマシンが変えてしまったという点に技術者の思いや完成度の高さを感じられました

現在もピーキーなエンジンやロマンの2ストとバイクの歴史を語るうえで欠かせない名車となっています

今回は以上になります。ありがとうございました!

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ryota(りょうた)
ryota(りょうた)
駆け出しブロガー
愛知県出身、都内在住。モンキー125乗りでバイクの良さを広めるべくブログの発信を開始。ツーリングやメンテナンス、経験談などバイクに関する情報を発信中です!
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